8/16の宮城県沖の地震の調査中に母方の祖母が亡くなり,宮城からつくばに戻ってきて,次の日の朝一で福岡に向かいました.もちろん亡くなってしまったのはとても残念ですが,96まで生きてもらえたので感謝の気持ちの方が強いかもしれません.やはり人は自分のためではなく,人のために生きている,生かされているという気がします.
通夜には間に合いませんでしたが,葬儀には何とか間に合い,ちゃんと見送ることができました.翌日は,一通りのことは済んでしまい,仕事もたまっているのでつくばに戻りますが,折角,福岡まで来たのですから,久しぶりに昔自分が住んでいたところに行ってみることにしました.おそらくもう15年くらいは行っていないと思います.実は,3月の福岡県西方沖地震の被害調査のとき近くを通って,でもあまりの変貌ぶりにがっかりしていました.ほんとはちょっと寄ってみたかったのですが,震度計の余震記録の回収中でノートパソコンのバッテリがなくなりそうだったのでそのときは諦めたのですが,実はちょっと気になっていました.また,「しばらく」のラーメンの味もずっと気になっていて,地震被害調査のときは行けなかったので,今回行ってみることにします.
祖母が叔母といっしょに住んでいた二日市の家から西鉄大牟田線で天神に行き,地下鉄に乗り換えてまず赤坂に行きます.西鉄大牟田線に乗ったのも久しぶりですが,多分私が子供の頃,父方の祖母に会いに行くのによく乗っていた頃の車両と同じ(型の)車両が使われているのには驚きました.でも古くて重くて燃費は悪そう(^^;ですが,とても堅牢な感じはしました.天神で地下鉄に乗り換えます.福岡の地下鉄はとても高いのですが,1日乗車券が600円なのでこれを購入します.赤坂は,福岡県西方沖地震で震度6弱が記録された福岡舞鶴震度計があるところです.その後の様子といくつか追加調査(構造種別など)を行いました.
■福岡舞鶴観測点に関する情報はここから■ 半径200mからぎりぎりはずれますが,赤坂駅のすぐ上にある壁にせん断ひび割れが多数入ったオフィスビル↓ そして,再び地下鉄に乗り,しばらくのある西新に向かいます.しばらくのラーメンはやはり味が少し変わっていました.でも思ったほどではなかったです.一口食べたところでは,昔食べた頃のコクがしっかり感じられましたし,日本橋店のように麺がにゅるにゅるしてることもありませんでした.ただ,コクの強さは落ちたかな.その分,ちょっと塩辛い感じがしました.体に悪そーな(^^;白い粉はシュッシュッと2回でした(以前は5回(^^;,東京の店は1.5回).今はやってるかどうかわかりませんが,昔は替え玉を8回すると只になって名前が店の壁に書かれるのですが,その掲示板を見ていたら,西南中の大平君の名前がまだしっかり載っていました.テレビでは高校野球の決勝戦,ではなく,ホークスの試合を試合前の国歌斉唱から中継していて,あー,もう福岡はホークス一色になっちゃったんだなー,と思いました.ちなみに,しばらくはホークスの試合の後行くと,ホークスが勝ったら20%OFF,負けても10%OFFだそうです(^^;. しばらくのラーメンを食べた後,西新の町を少し歩いてみました.西新は中学(西南学院中学),高校(修猷館高校)と6年間通ったところです.何年か前,来たときもその変貌ぶりにがっかりしていました. しばらくを出て,西に進み,城南線にぶつかって北の方を見たところです↓ ということで?,久しぶりに(15年ぶりくらいか?)昔住んでいたところの周辺を歩いてみました.福岡県西方沖地震の被害調査のとき近くを通ったときは,あまりの変貌ぶりにかなりがっかりしたのですが,丹念に歩いてみると当時の面影を残しているところも沢山あって,とても嬉しかったです.来てよかった(^^).これらの情景はよく夢にも出てくるので,「現実」の空間を歩いているのに夢を見ているようなとても不思議な気分でした.また,道路が通って実家が無くなるとき,忙しすぎてちゃんとお別れをしておらず,ずっと気にもなっていたので,ちょっとすっきりもしました.でも多分もうこの辺に来ることはないかもと思うとちょっと寂しい感じもします.福岡に来ることも仕事や身内の不幸などがなければまずありません.さようなら福岡,と言って,東京(厳密にはつくば(^^;)に帰ってきました.でも宮城に福岡にという大変な1週間ではありました.

は,(まだ)工事中.倒壊して取り壊された材木店は駐車場になっていた↓

せん断ひび割れが入った病院の補修の後↓


ちょっとわかりにくいが,補修をしてその上にタイルを貼っているので,補修した柱はタイルの表面の位置が少し手前に盛り上がっている.
応急危険度判定で危険(赤紙)が貼られたままの木造建物↓.ただし,外観からは被害レベルはさほど大きくない.

木造建物のカウントを行ったが,全部で10棟足らず.これでは震度を定義する被害関数のデータとしては不充分(100棟程度は必要).

■福岡舞鶴観測点に関する情報はここまで■


うーん,やはり昔の面影は...しかし,そのまま西に商店街の方へ行くと↓


雑多な感じは昔のままですね.昔からある果物屋さんもまだちゃんとあります↓


そして,蜂楽饅頭もまだちゃんとありました!↓



コバルトアイス(^^;もまだちゃんとあります!↓

そして,脇山口に来ました↓が!,バス停がない...


中学,高校のときは,この脇山口から3番線のバスに乗って国道263号線を通って通学していました.今日もそのバスで家の近くまで行こうと思ったのですが...少し北の方に行きます.今の修猷館高校です↓.この辺の雰囲気は昔と大分違います.


脇山口のバス停は少し南のベスト電器の前に移動していました↓つまり,ベスト電器は当時と同じ場所にありました.ここで1本810円(定価1000円だが,店で1割引,クーポンで更に1割引)のカセットテープ(TDKのSA90分)を何本買ったことでしょう.


バスに乗って263号線を南下します.263号線沿いは雰囲気は相当変わっていますが,道の曲がり方とか,部分的にはやはり昔のものが残っているところも沢山ありました.平田君ち(平田耳鼻咽喉科)や笠君ち(笠外科)もありました.西南中や森田修学館に来てる生徒の中に医者の息子が沢山いましたが,ちゃんと医学部に受かって後を継げるというのも大したもんですね.バスは最寄りのバス停の1つ前の干隈で降りました.ここは福岡県西方沖地震の被害調査のとき通りましたが,昔と全く雰囲気が違っています.ここから,昔の家の方ではなく,東の方へ,即ち,西南分校前(まだあるなら)のバス停の方へ歩いていきます.西南分校前に着いて(ちゃんと当時と同じ名前でありました),バス停から七隈小学校の方を見たところです↓.なお,この辺からごくごくごく一部の人にしか意味不明だと思います(^^;ので,どうぞ読み飛ばしてくださいm(_ _)m.ごくごくごく一部の人のためと自分が忘れないように整理しているというような類のものですから.


うーん,当時の面影はありませんねー.西南分校前から南の道に入ります.この道は高校のとき,自転車で行くときに通っていた頃よく通った道です.昔のままなら,入ってすぐ二股のはずだが...ちゃんとそうなってました(^^)↓


ここを右に行くと,左に大きな池があるはずだが...ちゃんとありました↓


しかもほぼ当時のままです(^^).ここから見た油山です↓

ちょっとちんちくりん(^^;ですね.ぐるっと回って行くと,左にけもの道?(^^;があるはずだが...けもの道ではないですが,整備されてちゃんとありました↓


ずっと南に進んでいくと↓


この辺の雰囲気は当時とあまり変わりません.だんだん嬉しくなってきました.そして,昔住んでた家に近づいてきました.左に曲がると干隈公民館があってその向こうを右に入るのですが...ちゃんとありました.建物も当時のままですね↓


そして,右にはいると↓


当時はこの辺は田んぼでしたが,建物が建っています.が,雰囲気は残っています.そして進んでいくと,桜庭さん,岡野さん,千竃さんの家がほぼそのままありました↓.この辺は全く当時のままです!いやー,来てよかった(^^).こりゃ,思ったより変わってないじゃん.


千竃さんの家の3軒先が昔住んでいたところです.どきどきしながら(でもないが(^^;)進んでいくと,いきなりひらけて↓


大きな道路が通っていました↓

昔住んでいた家があったのは,この辺でしょうかねー↓.向かいの米田さんちももうありません.


道を渡って反対側から見るとこの辺か↓右の方にソーラーパネルが3枚乗った青瓦屋根が千竃さんちなのでその3軒分手前ということになります.


香原さんちは当時のまままだ残っていましたが,もう住んではおられないようでした↓


西の方を見たところ↓川浪病院が見えます

この辺から見た油山↓

当時のままです(当たり前か).やはりこの辺からのアングルがバランスがとてもいいです(^^).そのまま進み,丘の頂上だったところから栗原酒屋さんの方を見たところ↓


うーん,昔はもっと急な坂だったような気がするが...ここから昔住んでた家の方を見ると↓家が見えたのですが今は全然見えませんね.ていうか家ないし(^^;

坂を下って下から見ると↓

うーん,やっぱりどー見ても坂が緩くなってる.栗原酒屋さんのところを振り返って↓


ここを過ぎて右に曲がる道↓

昔よく父と魚をとった川↓今じゃ考えられませんね(^^;


ずーっと行って,国道263号線のあたりまで来ました.右に当時からあったラーメン屋さん,左にマルキョウがまだあります.


国道263号線に出て南(野芥)の方を見たところ↓なんとなく当時の雰囲気は残っています.


来た道を引き返します.この辺から見た油山↓やや間延びした感じ.

再び丘の頂上まで戻ります.家があった反対側の方向↓夏休みにラジオ体操をやってた納骨堂?が見えます↓


ここから七隈小学校への通学路を通って七隈小学校まで行ってみることにします.ここから2kmくらいはあったはずです.この道を毎日向かいの米田君達といっしょに走って通いました.そのおかげで大分足腰が鍛えられた?最初は右に曲がります↓.


ここまでの道の曲がり方は当時のままです.曲がりきって右の方に行くのですが↓


ちょっとめんどくさくなり(^^;,新しくできた大きな道↓で真っ直ぐ行くことにします.


ここにまた丘があったのですが,それは当時のままですね.でも小学生の頃のイメージからすると随分低く見えます.これを越えると梅中(梅林中)や福大が見えるはずです.丘の頂上付近です↓


渡辺さんちがおそらく当時のままありましたが,もう住んではおられないようです.丘を越えると梅中と福大がちゃんと(^^;見えました↓

この辺はうっそうとした林の中の急な下り坂だったのですが↓当時の面影はあまりありません.梅中の手前に何と地下鉄の梅林駅があります.当時ここに地下鉄の駅ができるなど誰が考えたでしょうか?


少し進んでいくと,急な下り坂の名残がありました↓


地下鉄梅林駅です↓天神まで18分!信じられませんねー.でも地下鉄七隈線も乗車数が予想を大きく下回り,こんなでかい看板を出して宣伝しているようです.そりゃー,こんなとこ?に地下鉄作ってもねー(^^;.


地下鉄七隈線はここから福大を通り七隈の方へ行っているようです↓

梅中です↓.東の千代,西の梅中と言われた梅中(意味は知る人ぞ知る?)は今はどうなんですかね?


この辺から見た油山です↓.大分ちんちくりんになってきました.

梅中を過ぎて北に曲がったところです↓.この辺は田んぼの中のほとんど車も通らない道だったのですが,今は車がどんどん通っていました.まだ通学路にはなっているようでしたが...


少し進んだところ↓

振り返って梅中を見る↓.この風景は当時とほとんど変わりません.でも校舎は確か赤っぽかったような記憶があります.


更に進みます.地震の影響か,まだ屋根瓦にブルーシートがかけられた家がそこかしこに見られます↓(ここだけ被害調査報告風(^^;)


七隈小に近づいてきました.右に曲がる近道のところです↓


七隈小の前の通りに出て干隈,西南分校前の方を見たところ↓


七隈四つ角の方を見たところ↓

七隈小学校(私が卒業した小学校です)↓


この辺から見た油山↓.大分ちんちくりんです(^^;.何年生のときかは忘れましたが,油山が山火事になり,当時は大変でした.火の手が広がってどんどん人家に迫ってくるのがここから見えたほどです.

さっき,干隈から西南分校前の方へ歩いていくとき,なぜか3番線のバスが走っていたのですが,こういう理由だったようです↓.要は,地下鉄開業に伴い,14番線が廃止されたとゆーことですね.

七隈四つ角まで来ました↓昔と比べると道も格段に広くなり,賑やかになっています.


七隈四つ角から北の金山団地の方を見たところ↓.道が広い!(^^;

七隈四つ角から南の福大の方を見たところ↓.やっぱり道が広い!(^^;

地下鉄七隈駅↓から地下鉄に乗って天神まで戻ります.

歩いてきた経路です↓.+が昔住んでいた家があった場所.

地下鉄はとても新しく,座席が丁寧に7つに分かれていて(いいアイデアですね)快適でした↓.

歩き疲れて,うとうとしていたらあっという間に天神に着きました(^^;.でも天神と言ってもすごく南の方で(駅名は天神南となっていた),空港へ行く地下鉄の天神駅まで随分歩きました.こりゃー大手町並?