幸せになるには考えないこと?

 既に幸せである人は,幸せとは何か?などと考えないでしょうし,このコーナーも読まない方がいいでしょう(^^;.事実,あまり深く考えないことは幸せになる非常に有効な手段の1つです.それで最後まで行ければ超ラッキー?ですが,途中でふと「気がついた」て考え始めたときに右往左往することになります.そして,気がつくのが遅ければ遅いほど取り返しのつかないことになるかもしれません.不幸にも?気がついてしまった人は,考えないようにする(例えば,忙しく仕事をして,とか)のも1つの方法ですが,考えずにはおれない人は仕方がないので考えましょう(^^;.そしてそれ自体が生きていく活力,「退屈しのぎ」にもなりえます(^^;.

 これも方法論的幸福論ということでは,幸福論の1つということになります.つまり,幸せになるには幸せって何だろうなどと考えない,ということです.実際,既に幸せである人は,幸せとは何か?などと考えないでしょうし,このコーナーも読まない方がいいかもしれません(^^;.事実,あまり深く考えないことは幸せになる非常に有効な手段の1つです.そして,それで最後まで行ければ超ラッキー?でしょう.

 実際,世の中には解決できない問題が山ほどあります.そういう問題に直面したとき人間はどうするでしょうか?例えば,幸せすぎて死にたくない人がいるとしたらどうでしょう?少なくとも現在の科学,医学の力ではどうすることもできません.そうするとどうするかというと,多くの人は「考えないように」しているのではないでしょうか?実際,日常生活は多忙で,普段からいつも「死」というものを意識しながら生活している人は少ないでしょう.

 つまり,解決できない問題は考えずに先延ばしにすればよい,先延ばしにしているうちに人生が終わる,ということです.解決できない問題を解決しようとしないというのは,1つの有効な「解決法」であるのは事実で,死や幸福論以外のいろんなものに適用可能です.例えば,不治の病があるとしても,病気そのものは治癒することができなくても,その人の本来の寿命が来るまで病の進行を抑えれば,実質治したのと同じです.

 ただ,「考えないようにする」というのは,実際のところなかなか難しいです.従って,方法論としては考える暇がないくらい忙しく仕事をするとか,何かに集中するということになるでしょう.何か没頭できるものを見つけることは幸せと書きましたが,それは幸せについて考えることがなくなる,という点でも幸せといえるかもしれません.日本の高度成長期がとても幸せだった,と言われるのは,国がどんどん発展しているから将来に希望がもてた,ということもあるでしょうが,みんなその日を生きていくのに必死で,ふと立ち止まって幸せってなんだろう,などと余計(^^;なことを考える暇がないほど忙しかった,ということが大きいと思います.

 ですが,高度経済成長が永遠に続くはずもなく,バブルの崩壊(ステレオタイプな表現ですが(^^;)とともに多くの人が立ち止まり,「考え始めて」しまったように思います.今の何とも言えない閉塞感というのは,年金がもらえないかもしれないなどという将来に対する漠然とした不安というよりは,人生所詮退屈しのぎに多くの人が気づき始めたのではないか,と思っています.

 私も自分の場合に当てはめて考えてみると,「忙しさ」と「幸せ」にはかなり相関があるような気がします.大きな地震が起こって被害調査に出かけたりすると殺人的な忙しさになりますから,幸せって何だろう?などと考えている余裕は正直ありません(^^;.では,どういうときに幸せって何だろう?と考えるかというと,被害調査から帰ってきて一通りの報告などが終わった後や,何か大きな目標を達成したときとか,ちょっとほっとしたときなどにエアポケットに落ちるようにそういうことを考える場合が多いように思います.そういう一見幸福と思えることのすぐ先にそういう不幸?が待っていることは,幸福論で書いているとおりです.

 人生の中でいつ「気づいて考え始める」かは人によって様々ですが,私は,大学の先生になってその道で食べていくという小さい頃からの大きな目標?を達成した30くらいのときでした.これが早いか遅いかは何とも言えないところでしょう.早い人はもう子供の頃からずっと考えているという強者?もいますし,上で書いたように,最後まで「考えずに済む」という超ラッキー?な人もいるでしょう.

 私がまだ地震研にいたころ,当時学生だった人達と哲学論議や幸福論議をしていたとき,ぼそっと「やっぱ,考えないようにするってことですかねー.」と言ったのは,今新潟大にいる中村先生でした.それ以来,彼女は妻や名古屋工大の梅村先生などとともに私にとって「哲学論議ができる」とても貴重な存在となりました.ついでに(^^;,被害調査に行ったりとかいろんな仕事もいっしょにするようになりました.彼女は「考えないようにする」と考えたわけで,ということは,もうその時点で気がついていたわけです.

 しかし,気がつくとその時はかなり落ち込むので,その時点では右往左往することになります.ひどい場合は最悪そこで自ら命を絶ってしまう人もいるかもしれません.実際,気がつくのが遅ければ遅いほどリカバリーする時間が残されていないので取り返しのつかないことになりかねません.高齢の自殺者が急増しているのは,気づくのが遅すぎたということがあるのかもしれません.妻や名古屋工大の梅村先生ともかなり哲学論議をしましたが,彼らはおそらく子供の頃に既に気づいていたように思います.その甲斐あって?彼らは今ではとても幸せです(と本人は言っています(^^;).

 ですから,上で「考えないようにする」のは有効な手段の1つと書きましたが,それは確かにそうですが,それはなかなか難しいし,どうせ気づくのならリカバリーの効く早い方がいいでしょうから,私は,気がついたのなら「徹底的に考える」というのも1つの方法だと思っています.実際普通なら気がついたのなら,考えずにはおれないでしょう.幸い?まだ気がついていない人も,手遅れになるということがないように「保険」のために一度考えてみるといいかもしれません.「死」の問題も,解決できないから「考えないようにする」という「解決法?」ではなくて,一度ちゃんと向き合うことが必要なのではないか,と私は思っています.世の中に意味のないものはないですし,人間が死ぬのには理由があるわけです.「死」の問題については,私はもう物心がついた頃から考えていて,これはもう大分前から人間死ぬのが自然だと思うようになりました.

 人生に絶望したら,自らの命を絶つのではなく一度冷静になって徹底的に考えてみる,ということだと思います.そして,考えること自体が生きていく活力にもなり得ます.実際,私もこういう余計な(^^;ことを考えてこういう文章を書くことでエネルギーをもらっています.そして,これこそが究極の「退屈しのぎ」とも言えます.

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