幸福論?(仮)その4

 その3の続きです.その3では,幸せが「時間的に相対的なもの」であることを利用して幸せになれる(のでは?)という話でした.ですが,あまりに時間が経ってしまっていると,あるいは遠い未来だとなかなか難しい,という話になりました.そこで,具体的にそのことを利用してもっと「効率的に」幸せになる方法について考えてみます.

 幸せが「時間的に相対的なもの」であることを利用して「効率的に」幸せになるには,時間的に「近い」過去の不幸,近い未来の幸せを想像すればいいことに気がつきます.時間的に近ければ,今の自分に限りなく近いので他人(時間的というよりは空間的な概念)とは言えません.しかしそれでも想像するには想像力が要るので(^^;,実際に自分で不幸を作ってしまう,ということがてっとり早いです.ただし,あまりに不幸になると立ち直れなくなってしまうので(^^;,少し不幸になるくらいがいいでしょう.問題は変化率なので不幸の度合が小さくても,分母の時間も小さいので変化率はかなり大きいです.

 そして,同じ不幸になるにしてもただでは起きない,というか,どうせ不幸になるなら不幸になり甲斐のある不幸がいいですよね.それって何でしょうか?いろいろありますよね.例えば,毎日の仕事が辛い人は,それでもう幸せの種をもらったようなものです(そういう意味では,私は自分が興味がもてることを仕事にしてしまったので,仕事がそれほど辛くなく?仕事ではなかなか不幸になれず,従って幸せにもなれません).仕事は食べて生きて行くには必要なものなのでやらざるを得ません(その2と矛盾しますが,雑記帳なのでとりあえずほっときます(^^;).仕事が辛ければ,仕事をしているときは一旦不幸になりますが,仕事を終えた後は,ささやかな幸せがやってくるでしょう.そして,ささやかな幸せこそが幸せではないでしょうか?実際,仕事の後の一杯を楽しみにしている人も多いでしょう(^^;.カントの「純粋な喜びの一つは勤労後の休息である」という有名な言葉もあります.幸せになるために不幸になれてしかも給料までもらえるのですから,言うこと無しです(^^).

 仕事でなくても,例えば,バドミントンが強くなりたければ,ピアノが上手くなりたければ辛い練習をして,一旦不幸になれば,練習を終えた後は幸せになれますし,練習が辛いほどバドミントンも強くなれてピアノも上手くなれて一石二鳥です(^^)(もちろん練習方法が同じならの話です).ですから,やらなければいけないがやりたくないこと,辛いことがあったらどんどんやって不幸になってその後に幸せになりましょう(^^).

 ただし,ここで注意すべきは,一旦不幸になってささやかな幸せを得て,そこで安心していると,幸不幸は相対的なものなので,またすぐに不幸になってしまう,ということです.ですから,またすぐに一旦不幸になる必要があります.また,不幸の後に必ず幸せがやってくる,ということも必要です.従って,規則正しい生活?をする,というのは幸せになれる1つの方法かもしれません.朝9時から夕方5時まできっちり仕事をすれば,その後は,幸せな「休息」が必ず来て,でも次の日はまた仕事なので幸せになるための不幸が必ずやってくる,という仕組みです.これは,人間自由になればなるほど不幸になる,というのも関係していますね.

 ただ,今の世の中,便利になりすぎて,ただ生きて行くだけなら楽に楽に生きていけますので,そういう「幸不幸の変化率」が小さくなってきています.昔に比べればある意味「幸せな状況」で安定してきているとも言えます.ですが,幸不幸は変化率ですので,安定してくれば変化率に乏しく,幸せは実感できません.全く変化がないと,幸せでも不幸でもないかというとそうではなく,自然落下的に不幸になってしまいます.ですから,そういう「幸不幸の変化率」をある程度自分で作って行かなくてはなかなか幸せになれません.厄介な世の中ですねー(^^;.私も幸か不幸か大学の教員という,時間的には比較的自由な職業を選んでしまった(というかそれがこの職業を選んだ大きな理由の1つ)ので,夕方5時に勝手に仕事をやめて帰ってしまうことはもちろんできますが,完全成果主義なので,そんなことをすれば後でひどい目に会う(〆切の嵐に襲われる)ことになります(T_T).

 人間やはり怠け者なので(私は特にそうなので(T_T)),嫌なことや辛い仕事をなかなか買ってまではやらないもんです.なかなか規則正しい生活もできません(T_T).何とか最初の一歩が踏み出せればやる気も出てくるものなのですが...(でもやはりここでもやる気が関係してきたことで,やる気と幸せの関係が見えてきましたね.).というわけで,なかなか幸せにはなれません(T_T).そういう怠け者の人は,ある程度そういう状況を強制的に?作っていくことが必要なのかもしれません.実際,振り返ってみても幸せを感じることができていたのは,こういう余計なこと(^^;を考える暇もないくらい忙しいときでした.

 ですが,幸か不幸か(二重の意味で,ここまで読んでこられた方はおわかりだと思いますが)仕事の方がどんどん忙しくなってきてしまいました(T_T).忙しくなればこういう余計なことを考えずにすめばいいのですが,逆に考えたく(考えずにはおれなく)なってしまっています(それでこの雑記帳というコーナーを作ってしまった(^^;).ですが,仕事だけになってしまうのはやはり嫌なので,今のような状況が続くとどうなるのか?果たしてここまで書いてきたように(一旦)不幸になって幸せになれるのかは,実はまだよくわかりません(^^;(多忙かつ余計なことを考える,というのはおそらく初めて?の経験なので).まあその後の経過?という形でぼちぼち書いていこうと思います.ということで,「幸福論?」はまだまだ続くことになります(^^;.あるいは,もし,この雑記帳が更新されなくなったら,忙しすぎて余計なことを考えずに済んで幸せになった,ということかもしれません(^^;.

 ただ,ここまで読んで来られた方はもうお気づきだと思いますが,「幸不幸は相対的なもの」,つまり,「変化する状況の変化率によって人間が勝手に感じるもの」なので「状況」そのものとは無関係であり,従って,「あるべき状況,こうありたい状況」(例えば,お金持ちになるとか(^^;)を目指すことによって,幸せになれることはあっても,「あるべき状況,こうありたい状況」そのものが幸せだというのは妄想であり,従って,「幸せは目指すものではないし,目指すべきものでもない」というその1の最初に書いたことにようやく辿り着きました(^^;.

 そういう意味では幸せは不幸の種であり,それがわかっていてわざわざ不幸の種を目指す人はいませんよね.実際,そういう「あるべき状況,こうありたい状況」,簡単に言えば「目標」を達成してしまうと,その時は一時的に幸せになりますが,そのまま幸せに浸っているとまもなく不幸になります.そういう風に自然落下的に不幸になってしまうと,自ら,あるいは会社が作った不幸(な状況)ではないために,不幸を解除できず幸せに戻ることができません.しかし,幸不幸のそういう特性を理解して,自ら幸せの種である不幸を作れば,幸せになれることになります.中期的には,ある目標を達成したら次の目標を設定する,というのそういう方法の1つですが,なかなか次々に目標を設定するのも難しいですし,やはり日々の労働がいいのではないかな,と思っています.そして,究極の比較する不幸はやはり「人生所詮退屈しのぎ」でしょう.

 まあ,ごたごた言っても方法論的には,要は幸せになれればいいのですから(^^;,ここまでをとりあえずまとめると,次のようになりますでしょうか.

・幸せになるには一旦不幸になればいい.一旦不幸になればその後幸せになれる
・一旦不幸になるのには,不幸になり甲斐のあること(例えば,生活のために辛い仕事をするとか,強くなるためにきつい練習をするとか)でほんの少し不幸になるのがよい
・そうするためには,そういう状況を強制的に作る,あるいは,一旦不幸になるために行動を起こす.

 こうして見ると幸せはやはり平凡な毎日の日常の中にあるということでしょうか.つまり,毎日,ご飯が食べられて幸せとか,事故にもあわず,大きな病気もせず健康に暮らせて幸せとか,結局そういうことになってくるのかもしれません.もちろん,世紀の大発見をするとか,人類の宝のような芸術作品を生み出すとか,大観衆を魅了できるプレーをするとか,世の中を変えるとかいうような違う次元の幸せもありますが,そういうことができる人は世の中の極々一部なので,一応ここでは対象からはずして考えました.これについては,「観客と選手とどっちになる?」で改めて書きたいと思います.

 ただ残された課題は,最後の「一旦不幸になるために行動を起こす」ための最初の一歩ですね.そうするとやはり「やる気」がキーワードになってきます.従って,方法論的幸福論は,いかに最初の一歩を踏み出すためのやる気を起こすか,という方法論に移っていきます.そこで,流れ的にはとりあえずまずやる気3要素と無気力に飛びます.ここで書いた幸せになる方法は,1つの「効率的」な方法に過ぎないので,それ以外に感じる幸せ,幸せになる方法?もやる気3要素と無気力に書いてあります.

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