幸福論,やる気3要素と雑記帳版とはいえ,とりあえず「形」?にすることができたので(だーっと30分くらいで書いているので,正式版?になるのはまだ先のことですが),勢いに乗って?もう1つの重要なテーマ「人生所詮退屈しのぎ」についても書いておこうと思います.ただし,この「人生所詮退屈しのぎ」はとても誤解を与えやすいので慎重に書く必要があります(が雑記帳なのでとりあえずだーっと書いてみます).
「人生所詮退屈しのぎ」ときくとまずほとんどに人が「人生はつまらないもの」と思ってしまうようで,何てネガティブな発想だ,とか,人生はすばらしいものだ!とかあからさまに反論してきたり,驚きを隠せないといったことも多いです.しかし,哲学の世界では(残念ながら?)「人生所詮退屈しのぎ」は,もはやほとんど議論の余地のない定説となりつつあります.哲学者の考えることは,やる気3要素と無気力(雑記帳版(^^;)でも書いていますが,その道の専門家が考えていることで,さすがに物事の本質をついていることが多いです(もちろん,専門家が言うことだからといって盲信してはいけないのは言うまでもありません.最終的には自分の頭で考え判断することが何より重要です).
一般的なところでも,もう大分前になりますが,タモリが司会をするあるテレビ番組で,いろんなことを「哲学する」というのがあったのですが(名前は忘れましたが,確かボキャブラの後継番組だったような気がします),最終回のテーマが人生で,いろんな人がインタビューに答えて人生をどう考えるかについて語っているのですが,結構みんな人生は素晴らしいみたいなしょぼい(^^;こと言っていて,最後に,コメンテーターとして呼ばれていた哲学者(確か,立正大学の先生だった)が「人生所詮退屈しのぎは哲学の世界ではもはや定説です」と,がつーんと(^^;言われていたような記憶があります.確か,セガのCMにも「人生とは退屈なものだ」というショーペンハウエルの言葉を出したものがあったと思うのですが,セガの意図は退屈な人生をテレビゲームで楽しく退屈しのぎしよう,というおちゃらけ?あるいは人生の本質をついた?ものだったのですが,誤解を招きやすく苦情が来たのか,すぐに放映中止になってしまいました.
「人生所詮退屈しのぎ」は,解説が必要というよりは,文字通り「人生所詮退屈しのぎ」ということです.つまり,人生楽しかろうが苦しかろうが生まれてから死ぬまでの束の間の時間に過ぎず,例えば,駅で電車が来るまでの時間何をして過ごそうか,何をして退屈しのぎをしようかということです.電車が来る時間はだいたい決まっていますが(平均で70〜80年くらい),時刻表通りにならず突然人生が終わることもあります.
キーワードは「退屈」でしょう.人間の最大の敵は「退屈」です.私は仕事柄,入試の試験監督をよくやらされますが,試験監督は1日中他に何をすることもできないので非常に苦痛です.言うことをきかない社員を仕事のない退屈な職場に異動させて退職に追い込む,というのはよく使われる手です.人間は,何かをして退屈しのぎをしないと生きていけないように遺伝子にプログラムされています.人間の遺伝子は人類を繁栄させるようにプログラムされていて我々はそれに逆らうことはできません.人間は賢いので逆らおうとしますが,逆らおうとすればするほど,つまり,賢ければ賢い人ほど苦しい思いをすることになります.人間は,最大の敵「退屈」を主として労働をすることによって「しのいで」きたこと,それが最近どんどんおかしくなってきていることは,例えば,ライブドアvsフジテレビで述べている通りです.
日本や世界の世の中のいろんな動きを見ていると,ほんとに本人達が重大と思って必死になって頑張っていること,たとえ,歴史をつくるほどの大偉業,世紀の大発見をしたとしても「所詮退屈しのぎ」という感は拭えません.そして,そういう偉大な業績を残した人ほどそのことに気づいているのではないか,という気がしています.
私が大学院生時代,当時,研究室の助手をしておられた田才先生(現,横浜国大)とよく青山・小谷研のソファーで夜遅くまで飲んだものですが,その中で印象に残っているものに,人生の話?をしていて,偉大な業績を残したが不遇の人生を送ったと言われているような,例えば,ベートーヴェンの話になったとき,まだまだ未熟だった私は,どんなに偉大な仕事をしたとしてもベートーヴェンのような苦しい不遇な人生は嫌だ,と言ったら,田才先生は,「境君,いやそれは違うよ,不遇の人生を送っていると周りの人は思っていても,あれだけの偉大な仕事をした人には,その人にしかわからない,何とも言えない至福感が必ずあったはずだよ.」と言われてはっとしたことを憶えています.
話はそれますが,前から思ってるんですけど,世界中の人にアンケートを取ったら一番有名な人はベートーヴェンじゃないかと思うのですがどうでしょうか?少なくとも日本ではそんな気がします.アインシュタインでもなく,キリストでもなく,音楽家で外国人のベートーヴェンが一番有名というのは不思議な感じがします.単に教育の問題でしょうか?それとも「世界共通の言語」と言われる音楽のすごさでしょうか?
さて,「人生所詮退屈しのぎ」ですが,哲学とは,哲学者にとっては,「仕事」そのもの「人生」そのものですが,我々一般人にとっては,苦しいときの心のよりどころとすればいいのでしょう.ですから,人生は素晴らしい,人生が楽しくてしょうがない人に哲学も宗教も必要ないでしょうし,この文章も読まない方がいいでしょう(^^;.しかし何の悩みもない楽しいだけの人生は正直羨ましいとは思いますが,実はそんな人生を送っている人などいないでしょうし,いたとしたらそれこそ何の深みもないつまらない人生でしょう.
私は現在の日本社会の閉塞感は,将来に対する漠然とした不安,例えば,年金問題,政治不信,世界情勢の不安定などではなく,「人生所詮退屈しのぎ」に多くの人が気づき始めているのではないかと思っています.最近,自殺者が急増しているのも,もちろんこのご時世で借金で首が回らなくなったりとか,リストラされて生活が苦しいとか,病気の苦痛に耐えられないなどの従来型?のものも多いでしょうが,世の中が便利になって,ただ生きて行くだけならそれほど大変でもなくなってきていろんな余計な?ことを考える時間ができて「人生がつまらない」ということに気づく人が増えてきているような気がします.
「人生所詮退屈しのぎ」に気づくとどうなるかというと,自分で人生を終わらせるという選択肢もでてきます.ですが,人間なかなか死ねるものではありません.人間死ねないから生きていると言った人もいます.また,死んでしまうと,そこで全てが終わってしまってやり直しがきかないので,少しでも冷静になることができれば,何とか思いとどまることができます.「せっかく」与えられた命が「もったいない」し,周りに迷惑をかけられないということもあるでしょう.人間のプログラム的にも人類の繁栄のためには,自分の命は自分だけのものではないのでプログラムに逆らうことは非常に難しいです.
死ねないならどうするか,死ねないなら,どうせ生きて行くしかないのなら,退屈しのぎをしていくしかないですよね.そして,同じ退屈しのぎなら楽しい方がいいに決まっています.私が仕事以外のいろんなことをやっているのも「退屈な人生」を少しでも楽しいものにしようと(悪あがき?)しているとも言えます.
幸不幸は相対的なものなので,「人生所詮退屈しのぎ」というある意味人生の最悪の解釈に比べれば,人生も捨てたもんじゃない,と思えてくるということもあります.私も何度もつまらない人生に嫌気がさして死にたいと思いましたが,何とか思いとどまったのは,どんなにつまらない,苦しい人生も,時間が来れば終わりを迎えるものですし,「人生所詮退屈しのぎ」と考えると不思議と気持ちが楽になり,同じ退屈しのぎなら,楽しく気分よく退屈しのぎしていきたい,と思えるようになったということがあります.そして,実は哲学,この「人生や世の中などいろんなことについて考えること」も究極の退屈しのぎなのです(^^;.