私の学生時代の師匠である小谷俊介先生が東大を退官されて千葉大に行かれるということで原稿を書いたのですが,2年経ってもまだ形にならないので,忘れないうちにこっそりここに載せておきます(^^;.
小谷先生に高強度コンクリート柱の実験をやるように,そしてそのテーマで博士論文を纏めるように言われたのは,当時建設省総プロのいわゆるNew RCが始まって間もなくの1989年で,私がD1の終わり頃のことでした.New RCは青山先生が委員長で当時非常に注目度も高く,その一端を任せていただけるのは,とても光栄なことでした.
実験は,曲げせん断試験が,当時浅野キャンパスの総合試験所にあった2000t試験機の内側に鉄骨のフレームを組んで,2000t試験機で軸力をかけつつ,鉛直ジャッキ2本で曲げ戻しをしてスタブの平行を保ちながら水平ジャッキで加力するというもの,中心圧縮試験が同じく2000t試験機の加力ヘッドの四隅にジャッキを4本配し,高強度コンクリートの軸応力度−軸歪度関係の最大耐力以降の下り勾配が取れるように4本のジャッキで2000t試験機のヘッドを支え,コントロールしながら行う,というかなり大がかりなものでした.
ご存じのように高強度コンクリートは,破壊時にものすごい音をたてて非常に脆性的な壊れ方をするので,特に中心圧縮試験のとき,近所から苦情が来ないかどうかはらはらしながら(当時は東大総長に直接苦情の電話をかける住民の方の「白亜の御殿」が総合試験所のすぐ近くにありました)行ったものです.
それまで私は主として地震動や応答解析,設計法といった研究テーマに取り組んできていて,自分が主体になって実験をするのはD2にして初めてのことでしたので,たくさんの方々に助けていただきました.青山,小谷両先生を始め,当時助手をしておられた細川先生,田才先生には,加力治具の設計から作成,実験の実施まで,試験体の作成は,型枠とコンクリート打ちを大林組の技研でお願いしたこともあり,武田先生,勝俣さんを始めとする大林組の技研の方々にお世話になりました.大林組の技研の皆さんにはこの実験以外にもいろいろとお世話になり,その後私が大学院を卒業する時に,私がピッチャーをしていた「青研ドリンカーズ」の引退試合までしていただきました.
当時卒論生だった日比純一君は,実験の共同担当者としていっしょに頑張ってくれました.大林組の技研でのコンクリート打ちの前の日は,実験棟のコンクリートの床の上でいっしょに寝ました.彼はとても有能な学生で,段取りが悪い私を随分助けてくれました.私はこの実験を通して「段取り8分」が身にしみてわかり,その後,様々な状況でそれを教訓として生かすことができるようになったと思います. 卒論生や大学院生の皆さんにもたくさん手伝っていただきました.当時私は本当に「いっぱいいっぱい」で,卒論生や大学院生の皆さんに随分無理を言ってしまったなあ,と反省することしきりでした.実験の方は,こんな感じで皆さんに助けられて何とかやり遂げることができた,というのが正直なところです.
D2の1年間は,そういう意味でも結構大変な1年間でしたが,この年は,私が子供の頃から(今でも)応援しているライオンズが129試合目(当時は130試合制)で近鉄のブライアントに4連発でホームランを打たれて(正確には128, 129試合目の近鉄とのダブルヘッダーでどちらか勝てば優勝のところ,ブライアントの4連発に沈んだ)優勝を逃した年で,そういう意味でも忘れられない年です.ちなみに当時はライオンズの全盛期で私が大学1年(1982年)からD3(1990年)までの9年間に優勝できなかったのはこの年と私が大学3年(1984年)のときの2回だけです.日本シリーズもほとんど勝っていて,特にジャイアンツには3回やって3回とも勝っています.唯一負けたのが,私が大学4年のとき(1985年)の阪神タイガースです.今年(2003年)は,それ以来阪神タイガースが優勝しそう(まだ「阪神」ファンは「半信」半疑らしい)なので,ちょっと感慨深いものがあります.
青山先生は私がライオンズファンだというのをご存じで,先生のお宅にお邪魔したときにジャイアンツとの日本シリーズの写真集をくださったりしました.辻がクロマティーの緩慢なプレーをついてシングルヒットで1塁からホームインした様子などが載っていました.ちなみに辻をホームに突っ込ませた当時の3塁コーチがライオンズの現監督伊原です(今でも3塁コーチボックスに立っていますが).伊原は芝浦工大出身です. 話が大分横道にそれてしまいました.すみません.元に戻します.実験の計画,結果の解析,論文の作成などで青山,小谷両先生にいろいろご指導いただきましたが,そのうち特に印象に残っていることをここで紹介させていただきたいと思います. 小谷先生はこの実験に限らず,研究全般に渡ってとにかく厳しかった,という印象があります.卒論の発表練習でいきなり「何が何だかさっぱりわからないよ.」とおっしゃったことは今でも鮮明に憶えています.論文,特に英語のものは先生に見てもらうと真っ赤になって返ってきました.何回も手直しをしてくださり,それを通して論文の書き方を教えてくださいました.私も学生の論文を手直しする立場になると小谷先生に負けないくらい?真っ赤にしようと頑張ったものです.
しかし小谷先生は,おもしろい結果を出したり,自分でも納得が行く論文が書けたりすると必ず反応がありました.直接言葉をかけてくださったことも何回かありましたが,大抵の場合は,当時助手をしておられた田才先生にそういうことを話されて,田才先生が「境君,この間の論文,小谷先生がおもしろいっておっしゃってたよ.」と教えてくださるという感じでした.私はそれが単純にとても嬉しくて,よしまた頑張ろう,という気になったものでした.今思い返してみると,小谷先生に評価してもらうために頑張った,青山・小谷研の6年間だったような気すらします.そして頑張り甲斐のあるとても幸せな充実した6年間でした.夜遅くまで仕事をしていて,研究室の戸締まりをし,電気を消して,螺旋階段を降り,正門の脇の塀を乗り越えるとき何とも言えない充足感,幸福感を感じていた(変?)のを今でもよく憶えています.
青山先生に相談に乗っていただいたことで特に印象に残っているのは,D3のもう7月のことでした.上記の曲げせん断試験と中心圧縮試験をD2の間に何とか終え,実験データを解析した結果,曲げせん断実験で柱の軸歪の水平累積変位に対する増加率が急激に上がると同時に水平耐力の低下が起こる限界点があって,それが幾何学的に圧縮コンクリートの応力度−歪度関係を積分した面積が最大となる点と対応することがわかりました.そうすると高強度拘束コンクリートの応力度−歪度関係がわかれば,限界点を求める設計式が作れることになります.高強度拘束コンクリートの応力度−歪度関係は,当時六車先生のモデルなどがありましたが,New RCモデル(いわゆる崎野モデル)は当然まだなく,中子つきや様々な強度の横補強筋に適応できるものはありませんでしたので,自分で実験して作るしかありませんでした.
でももうD3の7月です.どう考えても時間がありません.当時,建研におられた塩原先生に,New RCの中間報告会がつくばであったときに相談すると「今から実験?それも計画から?いくら何でも無理だからD2の時の実験でまとめることを考えた方がいいよ.」と,私の暴走?を諭すように答えてくださいました.冷静に考えれば塩原先生の判断はとてももっともなものです.そりゃそうだよなー,やっぱやめた方がいいのかなー.
しかしどうしても諦めきれず,青山先生に時間を作っていただいて,相談してみました.上記の限界点の存在の説明をし,あとは高強度拘束コンクリートの応力度−歪度モデルがあれば設計式が作れる,でもそれには拘束コンクリートの実験をこれからやる必要がある,というような順序で説明したと思います.先生は,うんうん,なるほどなるほど,という感じで聞いていらっしゃいました.そして説明の後,先生が何と言われるかお顔を拝見すると...何の逡巡もなくあっさり「おもしろそうですね.是非やってみてください.」と言われました.ひえー,やっぱこりゃやるしかないか.今にして思えば,誰かに背中を押して欲しかったのだと思います.しかもそれが青山先生ならもうやるしかありません.
しかしそれから博士論文の提出まで5ヶ月くらいしかありませんでした.大急ぎで試験体を計画し(40体くらいあったと思います),モールドに入れる鋼線とスパイラル加工の発注をし(高強度スパイラルの加工ができるところがなかなか見つからず,細川先生が「境君!やっと見つかったよ.」とおっしゃりながら小走りでソファーのあるところに来られたときのことを今でも思い出します),当時の友沢研の助手をしておられた野口先生にお願いして高強度コンクリートを打ってもらい,フジタの技研の田中さんにお願いして,高強度コンクリートの最大耐力以降の下り勾配も取れる鉄の塊をくり抜いて作った高剛性試験機を使わせていただいて,実験が全て終了した時はもう10月下旬になっていました.もう12月中旬の論文の〆切まで2ヶ月もありませんでした. 今から思えば随分無謀なことをしたものだと思いますが(今でも懲りずに無謀なことを繰り返している気もしますが),確かに大変な思いはしましたが,とても充実した時間を過ごせ,何とか〆切に間に合ったときは大きな達成感と自信を得ることができました.と同時に青山,小谷両先生を始め,たくさんの方々に対する感謝の気持ちでいっぱいになったことは言うまでもありません.
あれからもう10年以上が経ち,その間,色々思い悩むことも多く,これといったこともできないまま10年余りが過ぎてしまったような気すらします.最近になってようやくほんの少しですが自分のやるべきことが見えてきたこともあり,せめてこれからは青山,小谷両先生に受けたご恩をお返しできるくらいは頑張らなくては,と思っている今日この頃です.
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