雑記帳というコーナー?を設けた目的は,「人生や世の中などいろんなことについて考えること」の中で形にするのが大変だけどを核になるようなテーマを不完全ながらも形にしておくことなので,早速一応幸福論?なるものもぼちぼち書いておこうと思います.その1としたのは日記?としてはとても1回では書ききれないだろうと思うからです.
「あなたは幸せになりたいですか?」ときかれたら,ほとんどの人が「はい」と答えるでしょう.幸せになりたくない人はほとんどいないと思います.そこで幸せとは何か,幸せになるにはどうしたらいいか,について考えて行こうと思います.ただし,最初にいきなり結論?というわけではないですが,私の今のところの考えは「幸せは目指すに値するものではないし,目指すべきものでもない」です.いやーな予感がする人(^^;,今自分は幸せだと思う人はここで読むのをやめた方がいいかもしれません(^^;.
まず,幸せの定義としてはまあいろんな意見があるでしょうが,とりあえず「自分が幸せと思ったら幸せ」ということだと思います.つまり,他人が見てどんなに不幸そうでも本人が幸せと思うのなら,幸せということです.逆に,周りから見てどんなに幸せそうでも本人が不幸だといえば不幸です.まあ,これは「幸不幸は他人が決めるもの」という,幸不幸のかなり本質をついた金久保先生の名言もありますが,ここでは一応「幸福になる」=「自分は幸せだと思う」ための方法論が目的なので,とりあえず幸せをこう定義します.
昔よく言われた言葉に「乞食と坊主は3日やったらやめられない」という言葉がありました(これをもじって「乞食と大学教授は3日やったらやめられない」と言った人もいましたね(^^;.).昨今は不景気とかリストラとかで浮浪者が増えてしまってしゃれになってないようなところもありますが,路上生活をしていても本人がそれで幸せだと思えば本人は幸せなわけです.でも乞食になれば幸せになれるからといって乞食になろうとする人はいないでしょう.
つまり幸せは人それぞれということです.ですから他人の幸せを欲しがっても全く意味がありません.要は自分にとって幸せとは何か,自分がどうしたいのか,どうありたいのかをしっかり考えることが大事だと思います.ですが,厄介なことにこれがよくわかりません.私も今の自分はどうだったらいいのか,どうなれば幸せなのかがよくわからないのです.
自分にとって幸せが何かがわかる人,つまり,こうありたい,というような目標のようなものがある人は,(とりあえず今は)問題ないと思います.ですから,そういう人は余計なことを考えず(この文章も読まずに(^^;)こうありたい自分を目指して頑張って生きていけば必ず幸せになれると思います.「(とりあえず今は)」と書きましたが,運が良ければそれで最後まで行けるかもしれません.たとえ今は目標に届かなくても,それに向かって頑張っているという状況だけで実は人は幸せになれます.というか,そういう状況こそが幸せだと私は思います.ですが,間違って(^^;それを実現させたりするとその瞬間は幸せになれますが,その後はむしろ不幸になってしまいます.まあいつまで経っても目標を達成できないのはいくらなんでもしんどいでしょうし,普通はある程度現実的な目標を自分で作り,それを達成するとまた次の目標を立てて,というようにするのでしょうが,だんだんそうは行かなくなってきます.
私の場合も振り返ってみると一番幸せなのは大学院生時代でした.その時の私の目標は大学の先生になってその道で食べていくことでしたから,大学院生時代は,とにかくいい論文を書くことに必死でした.私の師匠だった,青山先生と小谷先生,特に,青山先生が外の仕事で多忙を極めておられたために,研究室の学生の面倒の多くを見ておられた小谷先生は非常に厳しく,とにかく小谷先生に認めてもらえるような論文を書くのに必死でした.しかも大学院生というのは,普通ならばりばり仕事をしている20代後半になってもまだ学生なわけですし,卒業してもちゃんと就職できるかどうかもわからない非常に不安定なものです.実際,立派な博士論文が書けるかどうかもわからず,書けたとしても大学に職を得るのは至難の業でした.それでも夜遅くまで研究室で仕事して正門が閉まってしまって,そのすぐ横の塀を乗り越えるのですが(^^;,その時何とも言えない幸福感を感じていたのをよく憶えています(変?(^^;).その頃の様子を書いた原稿もここに載せときます.
結果的に,立派かどうかはともかく(^^;博士論文を何とか書き上げ,大学に職を得ることができたときもとてもうれしかったです.おそらく,私の40数年の人生の中で一番幸せだった瞬間だと思います.D3の11月の終わり頃,地震研の南先生から「境,おめー,まだ就職決まってねーんだってなー.うち来るか?」って電話がかかってきた時はほんとにうれしかったです.その日,八重垣(地震研を根津の方に降りていって不忍通りにあっためし屋かつ飲み屋.残念ながらなくなってしまった)で南先生と飲んだのですが,うれしくて飲み過ぎて不忍通りを汚してしまった(^^;のを憶えています.地震研時代の様子も南先生が亡くなったときの原稿を見つけたので,これもここにこっそり載せときます(^^;.
しかし「大学に職を得てその道で食べていく」という目標?を達成した後は,なかなか効力感(やる気)というか動機付けが難しく,随分苦しんで来ました.私のホームページを見てくださって,私が仕事や仕事以外にもいろんなことに精力的に取り組んでいてとても楽しく充実した幸せな人生を送っているように思われた方もいらっしゃるとは思うのですが,実際はそういうことでは全然ないです.上の「幸せの定義」によると,周りからどんなに幸せそうに見えても本人が幸せだと思っていないのですから幸せでない,ということになります.
こういう「幸せでない者」が幸福論を語るのも変な話ですが(^^;,自分なりに考えてきたことをぼちぼち書いていこうと思います.そしていろんなご意見をいただければ幸いです.なんか初回?は思い出話?で終わっちゃいました.でも実はこれも幸せになる方法論の1つで,それは「幸せは空間的,時間的に相対的なものである」ということです.次回は,それについて書こうと思います.
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